2007年3月25日の09:42分ごろ2階にいたらグラグラときた。一寸だけ様子を見たが収まりそうにない。シャック(無線室)の電源を落として1階におりた。すぐに分電盤のメインスイッチ(ELCB)を切って勝手口からスリッパのまま外に出た。家内は既に勝手口から外に出ていた。
なかなか揺れが収まらない、収まっても体が揺れたような感覚になっていた。収まったのを確認して家に入ってTVをつけたがまだ地震速報は出ていなかった4分ほどして速報が出た。震源は能登沖で加賀の震度は-5と出ていたので強いはずと思った。
遠方の子供たちが心配するといけないので09:51に無事とのメールを送った。が、子供たちはその頃、我家の固定電話や携帯にかけていたらしいが一向につながらなかったようであった。メールの返事には「あわてていたのですっかりメールがある事を忘れていた」と書いてあった。地震が落ち着いて電話がつながりやすくなってから親戚からかかってきたり、かけたりしていた。友人からはメールでお見舞いをもらった。
阪神淡路の時の金沢の震度は3であったが今回の金沢は震度4なのでかなり強く感じた。そんなんで能登の人達はもっと強烈に感じたと思うし恐かったと思う。幼児期に福井地震(1948年)を福井県に近い石川県江沼郡山中町(現:加賀市)で経験したが揺れの強さまでは記憶にないが近くの道路のひび割れを見たし、近所の空き地(原っぱ)に避難していた事が記憶にある。
我家の被害は2Fの壁掛けの時計が落ちた事と本棚に適当に置いた本が数冊落ちてきたたくらいであった。災害は忘れた頃にやってくるを実感したが我家の非常時の備えは、水と少々の食料だけなのでこれを機会に非常持出しの内容を点検し有事に備えたいと思っている。