社会的貢献なんて偉そうなタイトルだが別段深い意味は無い。私の出来る唯一の社会的貢献は献血である(と思っている)。いつの頃からは不明だが私の勤め先にも献血車が毎年2月と7月の2回採血に来てくれている。転勤の期間や仕事の都合で不在となる場合以外はたいてい私は献血をしている。社会に出て4~5年たった頃、友人からの要請で交通事故に遭った人の輸血要員として病院に待機したこともあった。
献血手帳の最初のものは紛失してしまったが現在4冊目である。1990年までは多分1回200ccの献血だったが1991年から1回400ccの献血をしている。献血できる年齢も69歳までOKである。
1. | 献血をしたくても薬を飲んでいる人、血液の比重が軽い人、その他、献血前の医師の血圧測定や問診で不向きとされた人は別にして健康な人は是非献血をお願いします。 |
2. | 血液の比重は、献血前の少量の採血ですぐ判ります |
3. | 献血前の採血と献血時の採血で採血針を刺す瞬間だけがちょっと痛いだけで十分な社会的貢献ができます。 |
4. | 献血後、10日くらいで血液検査の結果が送られてくるので自身の健康管理にも使えます。 |
記憶は定かでないが中~高校生(1956~1962年)の時位と思うがローカル紙の三面記事に「黄色い血」と言う見出しの記事がよく出ていたのを覚えている。その頃は血液を売るとお金がもらえると言う時代で仕事にあぶれた人たちが生活の為に自分の血を売りそのお金で食いつないでいた。が、当時、私は詳しいことまでは知らなかった。
これらの売血者の人達は、これが習慣となって月1回が週1回となり、さらに頻繁になり当時の調べによるとなんと1ヶ月に70回以上も売血した人がいたらしい。
売血者の血液は、赤血球が回復しないうちにまた売血してしまうので、赤血球の少ない黄色い血漿(けっしょう)ばかりが目立つものであった。→ここから「黄色い血」と呼ばれた。この黄色い血は輸血をしても効果が少ないばかりか、輸血後、肝炎などの副作用を招き大きな社会問題となった。
1964年8月政府は献血の推進を閣議決定し、赤十字血液センターが各地に開設された。以来、献血は年を追うごとに増えていき1968年には民間血液銀行の売血による保存血液はすっかり影を潜めた。と、大阪府赤十字血液センターのホームページの「日本の血液事業の歴史」のなかに載っていた。