蹄鉄(ていてつ)


   ローカル紙の連載小説に「われに千里の思いあり」(作者は「中村彰彦氏」→私は、文学とか小説には縁遠いので知らない人だが、加賀藩の三代藩主前田利光の事を書いていてたまたま読んで見たが面白いので欠かさず読んでいる)のNo.261(2007.9.25版)に、そうでもなくともこの時代には蹄鉄(ていてつ)というものがなく、馬は人と同じくわらじをはいているだけであった。蹄(ひづめ)を割って歩けなくなる馬もあれば、というくだりに興味をもった。

 私の親父は零細企業の鉄工所を営んでいたが。支那事変(日中戦争)に従軍しそこで覚えたのか知らないが装蹄師の資格を持っていたようだ?(馬に乗っている写真も見た。階級は陸軍伍長?)。そんな訳で私が中学生以前の頃は鉄工所の仕事の合間に近隣の馬車の蹄鉄を作り取付をしていた。擦り減った蹄鉄を外しそれを見本に火床に地金を入れて熱し、金槌(かなづち)で叩きながら蹄鉄の形状に仕上げていった。蹄鉄を付ける前に、蹄も爪と同じように延びていくので専用の刃物で蹄を削りとっていった(爪と同じく削っても、熱を加えても、釘を打っても痛くない→そんなに硬くもないので簡単に削り取れる)。そして蹄鉄を蹄に合わせながら釘を打ち込んで固定していった。

 熱せられて赤くなった蹄鉄を「やっとこ」でつかみ馬の蹄に当てて形状を確認し火床に戻し修正していく。この時、蹄も焼かれるのでいやな臭いが鼻を突いたものであった。そんな親父の仕事を眺めて時を過ごしていたものであった。これも時代の変遷と共に馬車もほとんどいなくなり今では競走馬とか乗馬用の馬しかいなく蹄鉄も親父がやっていたような火作りでなくプレス?で大量生産されているようだ。

 火床{ひどこ、と読み新聞紙や木などに火をつけそれをコークスに燃え移らせ鞴(ふいご・吹子とも書く→手動式、親父は電動の小型ブロアーを使っていた)で風を送り高温にして燃やし続けるもの→刀鍛治で見かけるあれの事}

   「やっとこ」←針金・板金・熱板などを挟むのに用いる鋼鉄製の工具の事。


 Webに下記があったので蹄鉄とは何かを覗いて見てください。

蹄鉄(ていてつ)

 余談:蹄鉄は「焼入れ」をしていたかどうかは記憶に無いが、火床のそばには焼入れ用の水槽がありその近くには「白い粉」があった。焼入れをする時は親父は灼熱の加工した鉄にパラパラと振りかけ金槌で叩き込みその後水槽に入れ急冷し焼入れをしていた。その白い粉は「青酸カリ・シアン化カリウムともいい猛毒である」でいまでは考えられないくらい取り扱いがラフでのどかな時代であった。