伝動ベルト


 何の気なしに今日(1月7日)のローカルの北国新聞の朝刊を見ていたら、もうとっくの昔に姿を消していたと思った伝動ベルトの写真が目に付いた。その先の機械は轆轤(ろくろ)等である。   
   
 記事の前文は下記のようであった。   
   
 厳しい寒さの中、明成小近くの住宅街を歩いていると、何かを削る音が聞こえてきた。音をたどった先にあったのは、昭和のレトロな雰囲気が漂う瓢箪町(ひょうたんまち)の小さな工場。作業場では、金沢伝統の火鉢作りの技を守ろうと情熱を燃やす若き職人が奮闘していた。

 職人の岩本さんは、わが故郷、山中漆器の産地にある県挽物轆轤技術研修所で修業をし3年前に金沢に戻ったようである。  
  
 うちの親父は当時、ろくろも作っており、山中漆器の木地屋にも多く納めていたが今ではその「ろくろ」は現存しないかも。  
  
 2009年9月24日の電気あれこれNo.87の「年期の入った三相誘導電動機」にこのベルトの事を書いたがそれには写真が無かったがイメージ的にはこの写真の様になる。  
  
 「年期の入った三相誘導電動機」の一部抜粋  
  
 現在は1機械1電動機が当たり前だが、実家は昔、鉄工所をやっていたので何馬力か知らないが1台の明電舎の電動機にベルト掛けをして天井にベルト張り巡らし、旋盤、ボール盤、グラインダーなどの工作機械に動力を送っていた。電動機の始動用開閉器には可動鉄片形の電流計が付いていた。当時、親父は明電舎の電動機は馬力がある(強い)と言っていたが、今考えれば余裕を持って作っていた事になるが・・・もう50年も以上前の話で当時は電気屋になるとは夢にも思っていなかった。