電磁接触器・開閉器の今昔


 1961年暮れの学期休みに入社予定の会社にバイトと言うより教師から「勉強して来い」と言われ山中町(現加賀市)から金沢市まで通った。そこで初めて電磁接触器をみた。富士のSRC3631-5-1(写真1)と言うものであった。仕事は社内試験用の「三相200V50A、単相100V130Aの移動式負荷抵抗器盤」の組立作業であった。作業責任者に言われるままに部品の取付、電線を切り圧着端子等を付け配線作業をした。組立完了後に電気を入れ通電試験となった。12月の寒い時期なので三相200V、50A、17.32kWは暖房機代わりとなり暖かかった事を覚えている。

 私はこの負荷抵抗器盤を入社後の1968年頃まで使ったが職場が代わったので使う事が無くなった。その後、他の人が使い勝手が良くなる変更、追加を重ねながら6~7年前までは現役として活躍していた。たまたま今回、変圧器の電圧変動を見る為、廃棄処分寸前のこれを引張出して来たが改造を繰り返した為肝心の抵抗器も一部無くなっていた。Simple is the best と言うことで不要なものを取っ払って46年ぶりに昔に戻した(一部抵抗器の欠落やシ-ケンスの変更あり)。

 写真1では圧着端子は見えないが圧着端子、圧着ペンチ、ワイヤ-ストリッパ-なども初めて見た。ねじは分ねじ(ウイットねじ)で今のM4のものを1分2厘5毛と呼んでいた。その後はメートル並目ねじを使い始めさらにM3~M5はISO規格(俗称イソねじ)に合わせる為にねじのピッチが変わり現在に至っている。当時はプラス頭のビスは少なくほとんどがマイナス頭であった。今、改めてプラス頭のビスを使ってみると目が届かないところでも落ちにくく、かつ、入りやすいので使いやすい事がよく判る。さらに現在はドライバ-の先端を磁石化しビスを落ちにくくし端子ねじに入りやすくしてる。。

 現在(写真3)はダクトを使いビスはプラス頭で電線端は直入れから圧着端子を使い主回路はカラ-キャップを入れ操作回路はワイヤマ-ク入れている。JEM規格も変わり、主回路が赤、白、青の電線色の色別から全て黄色の電線でOKとなり先端のみカラ-キャップ色別になった。これで色別電線の在庫を余り持たなくてよくなった。以前あった50、80、125sqの電線もJIS規格から外されていった。

 電磁開閉器はSRC3931-5-1で接触器の36が→39に変わりサ-マルリレ-が付くだけである。富士電機は当時ドイツのシーメンス社と技術提携をしてこれ等を製作していた。その後、M社、T社なども汎用品を手がけたが「うなり」、「鉄心の錆び」の問題が相当発生し其の都度交換やM,T社にクレ-ムをつけ改善を求めた。いまでは各社とも遜色はなくなってきている。現在、前述の電磁接触器は型名がSC-5-1で電磁開閉器はSW-5-1に変わったが電気定格は46年前と同じである。取付孔も同じでありDINレールにもつけられるようになっている。後発のM,T社のこれらも取付孔を富士電機に合わせ交換出来るをうたい文句にしていた。配線用遮断器についてはM社が先発メ-カ-なので後発メ-カ-はM社の取付孔に合わせている。

 この5-1型の接点は19A(3相200V4kW)の容量がありピンセットで簡単にa,b接点を入れ替えできるので重宝していた(可動接点は上下の入れ替えだが固定接点は接点そのものをaとbに替える)。たまには誤って可動接点のバネを飛ばしてしまい捜すのに往生した事もあった。コイルも100V、200Vに簡単に替えられるのでよく組換をしたものであった。5-1の開閉器、接触器は私が社会に出る前に初めて見て、触って、使った部品で、かつ、社会に出てからも永く使ったものなので非常に愛着がある。

写真1・1961年製の富士電機の電磁接触器 SRC3631-5-1

写真2(下)・1961年製の移動式負荷抵抗器盤(プレートを取外して撮影)

写真3(下)・2007年製の富士電機の電磁接触器 SC-5-1 サイドオン、ヘッドオンで簡単に補助接点が付けられる